耳は最期まで聞こえているとお伝えしているもう1つの理由

体験談

「らくいき」管理人のりかです。

 

先日、理学療法士としての体験談を記事にしたところ反響がありました。

 

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【体験談】耳は最期まで聞こえている

 

少しでも私の体験が誰かの役に立てばと思い発信させていただきました。

 

今回は理学療法士としてではない私のプライベートの体験談を記事にしました。

なぜ私が「耳は最期まで聞こえている」と最期の時を迎えられている患者様のご家族や向き合っている方にお伝えしているのか?

もう一つの理由です。

 

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私の祖母の逝き方

 

私の祖母は幼い時に結核にかかり、その後遺症で若い時から喀血や喀痰などでずいぶん苦しんでいたようです。

その祖母が病院で呼吸リハビリを受けていたのをみて私も理学療法士を目指しました。

実際、呼吸リハビリを専門に現在も理学療法士として働いています。

 

私は病院時代毎日のように夜遅くまで仕事をしていました。

【体験談】耳は最期まで聞こえているにも書いた通り、

いつお亡くなりになるかわからない方を目の前にして必死でした。

 

夜遅く病棟看護師やご家族から呼ばれることもありました。

呼吸が苦しいから呼吸介助をしてほしいと言われれば呼吸介助をしました。

痰が出なくて苦しいと言われれば排痰介助をしました。

体中が癌の痛みで苦しいので触れていてほしいと言われればそばで体を触ることもありました。

死ぬ前に会いたいから病室に来てほしいと言われたら駆け付けました。

 

病院では理学療法士として命の灯が消えそうな方に必死で向かい合っていましたが、

私に理学療法士という仕事を教えてくれた祖母に対しては向かい合うことができていませんでした。

いつまでも祖母は変わらず生きていくとどこかで過信していたのだと思います。

 

ある日、夜遅く仕事が終わり帰ろうと携帯電話を見るとかなりの数の着信がありました。

母からで最初は祖母が息が苦しそうだという留守電が入っており、

その次に救急車で運ばれた、そして先ほど亡くなったとの連絡でした。

折り返し電話をすると「今頃電話してきて…遅いわ。」との母の言葉…。

実家に帰ると祖母は冷たく硬くなっていました。

 

どんなに思いを持って声をかけても冷たくなった祖母の耳に届いているとは思えなかった…。

伝えたいことを大きな声で言葉に出しても

体が冷たく硬くなっていると届いている気がしないのです。

 

仕事で他人である患者様には必死に声をかけて接しているのに

自分の身内の祖母には死に目に会えず声をかけても届いているとは思えない。

 

何してるんだろう、私…。

何をしてあげられたんだろう…。

 

ただただ虚しさしかなかったです。

 

祖母の死を経験したから言えること

 

この経験を通して私は

『人の死は死に逝く人だけの問題ではない』

と強く思うようになりました。

後に残される人も死に逝く人と同じくらいケアが大事なのです。

別れるにも別れ方次第で残された人のその後の虚無感や大切な人の死のとらえ方が変わってくる。

しっかりお別れを言わないと残された人はなかなか前を向いて生きていけないのです。

 

当たり前のことかもしれませんが、

祖母の死を通して改めて自分事ととしてとらえるようになりました。

 

もう一つの理由:残された人も前を向いて歩いてほしいから

 

私が耳は最期まで聞こえているとお伝えしているのは

もちろん死に逝く患者様にご家族や大切な方を感じてもらいたいという思いもあります。

実際そういわれている患者様に私自身遭遇しています。

【体験談】耳は聞こえているの記事の通りです。

 

ただそれだけではなく残された人も大切な人亡き後、前を向いて生きていってほしい。

ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと後悔して欲しくない。

私自身苦しんだので私のように苦しんでほしくない。

 

そういう思いもあって「耳は最期まで聞こえている」とお伝えし、

思い残すことなくお別れをして残された人自身の人生を生きていって欲しいと思っています。

最期にしっかり向き合わなかったら大切な人亡き後、前を向いて生きていけませんから…。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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